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体験談 No.1

ご相談者様の声

ただ今より、私の信仰の体験発表をさせて頂きます。

生と死との真っ只中で、命の尊さと生きる喜びと悲しみを、身をもって経験したことをお話します。

皆様はこんな経験は無いでしょうか。
あれは忘れもしません、20年前の事です。まず、主人が足が痛いと言って、近くの病院に入院することになりました。その翌朝、容態が急変して咳き込んで呼吸困難になりました。
病名は「肺癌です」とはっきり言われ、「一刻も早く大きな病院に行ってください」との事でした。
救急車で運ばれましたが、どうしても信じられず、救急車の中でも、ただ万に一つといういこともあると祈るだけでした。
病院に着いても、呼吸困難で検査ができず、病室でレントゲンを撮ることになりました。
やはり、結果は同じで、肺癌と告げられ、目の前が真っ暗になり、何がどうなったのかわからなくなり、思わず泣き崩れてしまいました。
今夜が峠と言われ続けた時は、絶壁から谷底へ落ちる思いでした。
私は毎日、夜も眠れない看病が続いて、面会謝絶の日々が続きました。
そんな時、明日から出稼ぎに行こうと思っていたはずの私の兄が、成就院主様に、お尋ねに行ったのが始まりでした。
でも、兄では、はっきりわからず、そこで「家の事の詳しい人を誰か連れてきてください」と言われて、私が代わって行ったのが成就院様との出会いでした。

院主様より親切に、病気の原因を詳しく解明して頂き、病気を治すための方法を、教えてくださいました。
私は、わらをもすがる思いで、院主様より言われたとおり、無我夢中で頑張って続けておりましたら、「今夜が峠です、もう助からないでしょう」と言われた主人が、酸素呼吸をはずされ、大部屋に移る事が出来る状態まで回復しました。
その時は、言葉で表すことが出来ないくらい嬉しくて夢のようで思わず手を合わせました。
これもひとえに、成就院様のお陰で、主人が助かることが出来たのです。病院側では、大変驚かれて、どうしてこんなに早く治るのかと、不思議がっておられたそうです。
成就院の神々様や院主様の御力で治して下さったのです。
まさに奇跡です。そして奥深い安堵感が体中にじわっと湧いてきました。

本当に生きているって素晴らしいことですね。
成就院の神々様、院主様の御恩は一生忘れることはできません。
その後、正月も間近になった頃、退院して日に日に元気になり、再発する事も無く、働かせて頂く様になりました。
本当に有難う御座いました。

体験談 No.2

ご相談者様の声

こんにちは。まさかこの様な大勢の皆様の前でお話するとは、思っても見ませんでした。
私事で恐縮ですが、体験談ということでお話させていただきます。

私の家族はおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、子供5人の9人家族です。
おじいちゃんは21年前、高血圧で倒れて、左半身麻痺の状態です。おじいちゃんが日本脳炎で入院、意識不明が1週間程続き、病院の先生は「もう、だめだろう、助かっても植物人間の状態にしかならないだとう」とはっきりおっしゃいました。
そのとき、お父さんが成就院の先生にお尋ねして祈願をお願いしたそうです。すると、不思議なことに、おじいちゃんの病気がだんだん良くなって、隔離病棟から普通の病室に変わって翌年の3月には、前より元気になったおじいちゃんを迎えることができました。

そのころ、前からひどい咳に困っていたおばあちゃんが、町の健康診断で再検査へ、そして大学病院に2ヶ月程入院しました。はっきりした病名はわからず、慢性気管支炎だろうということでした。
その後、地元の病院に2・3年通院しましたが、いっこうに良くなりません。反対に悪くなるばかりでした。
元気な頃、55kgあった体重が40kgに減ってしまい、体は弱っていくばかりで、仕事も出来なくなりました。
毎日、寝たり起きたりの状態が半年位続いて、翌年の1月には近くの病院にまた入院しました。
その時私はどうして次から次に、家ばかりこんなふうになるのかと、辛い悲しい気持ちでした。
神様は私の家にはもういないのかと、とても不安な毎日でした。

そんな時、成就院の先生にお尋ねして、道を開けていただいてから、私もお父さんも一生懸命お参りさせてもらいました。おばあちゃんは、病院のベッドの上から、お参りしたそうです。
3月にはだんだん良くなって退院することができました。そして、おばあちゃんの病気は完全に治ってしまいました。
ある時、この病気は治らないとおっしゃった先生が「この病気はおばあちゃん自身が自分の力で治したんだ」と、不思議そうにおっしゃったそうです。
この言葉を聞いたとき、成就院の先生のおかげと感謝の気持ちでいっぱいになりました。

その後、お父さんの仕事の方も、だんだんと忙しくなって、私も手伝うようになりました。おばあちゃんは孫を見ながら家の事をして、合間には野菜造りにと忙しい毎日を過ごしております。今は家族皆、健康になったお陰で、毎日がとても楽しく幸せだと実感しております。信仰してこんな幸せになるとは思ってもいませんでした。

今後も成就院の先生に教えを頂いてお参りさせてもらいたいと思っております。
ありがとうございました。

体験談 No.3

ご相談者様の声

こんにちは。私の今までの体験してきた事を今の気持ちをそのまま書きました。どうぞお聞きください。

私は17才の時、成就院にご縁になり、その当時、骨肉腫という(ガンの)足の病気を患っておりました。
私の発病の6年前にも、姉が同じ病気で亡くなり、その当時も両親たちは、ある信仰を一生懸命しており、母や姉達はお百度参りしたりして頑張っておりましたが15才で亡くなってしまいました。
左足を切断して、まつば杖をついていた姉の姿が今でも目に焼き付いております。そして・・・今度は私が15才で同じ病気にかかり、又子供を死なせてはいけないと思う親心であらゆる病院へ行き、両腰の下にはヤイトをすえに佐賀県まで行った事もありました。

姉は京都のある信仰で80万円出したら、妹さんの病気と因縁を滅ぼしてあげるからと言われ、私の為に色々やってくれましたが、一向に良くなりませんでした。・・・その家族の助けたいと思う必死の気持ちが通じたのか、成就院に今から17年前に近所の方から教えてもらい、御縁にして頂きました。

成就院にご縁になってからというものは、ただの一度も病院に行かず、薬一粒も飲まずに、ただひたすら先生と神様を信じて、初めて伺った時におっしゃった先生のお言葉で「あなたの病気は因縁から来た病気です。私の言うとおりに努力すれば治ります。」とおっしゃって下さった言葉を信じて成就院にお参りに行き、院主様に元気付けて頂き、お力を頂いたお陰でいつの間にか治ってしまっておりました。
姉は因縁の犠牲で亡くなってしまいましたが、私は院主様に道を開けて頂いたお陰と神様の御加護と、そして家族の愛情のお陰で命を助けて頂きました。

今の私があるのも、因縁の道を開けて下さり、その方法を教えて下さったお陰で助かったのです。もしも・・・先生との御縁がなかったら、私も姉と同じ運命をたどっていたのです。私は大きなご利益を頂き、世界一幸福者だと思っております。
今では、大阪の方で、マイホームを購入し、とてもやさしい主人に恵まれ、主人も仕事を独立し、良い職人さんに恵まれ、良い運勢まで頂きました。あんなに苦しかった時のことが今ではウソの様です。
本日は私の体験発表を言わせて頂き、そして聞いて下さいまして、有難うございました。

体験談 No.4

ご相談者様の声

私が成就院様にお世話になったきかっけは、経済的に苦しく、借金もあり、子供たちが病気ばかりしていたからです。

私は以前に主人の友達の子供さんが成就院で命を助けてもらったという不思議なことを聞いていたこともあり、成就院様にお尋ねに行ってみることにしました。
平成15年7月にお参りし、院主様より因縁をよく調べていただき、強い因縁があることがわかりました。
これがあるから経済的に苦しむ結果となるのですよ、と話されました。
貧乏の辛さを考えると、お参りすることで幸せになれるのなら、頑張ってみようと思い、成就院様へお世話になることを決めました。
お参りをさせていただくうちに自宅から歩いて1・2分かけて前の店より、条件の良いお店に就職させていただき、心より感謝しております。

世間では、塾にやりたくてもやれない家庭がある中、私は成就院様のお陰で子供を塾に通わせることができております。経済的に苦しかった時からすれば、今では借金も返済してしまい、家族皆健康で暮らし、人並みの生活を送っていることに、私は感謝しております。

最後になってしまいましたが、成就院の神様、院主様、先生方、本当に有難うございました。
そしてこれからも、どうぞよろしくお願いいたします。

体験談 No.5

ご相談者様の声

私が成就院にお参りするようになったのは、今から10年程前、子供が2人とも小学校に行かなくなった事。いわゆる登校拒否です。

その時、長女が6年生、次女が4年生でした。どんなに言い聞かせても無理でした。中学生になると更に悪化、長女は2年間1歩も家から出なくなり、次女は学校に行く時はあるのですが、教室へは行けない状況でしたので、私は2人とも高校に行かないと諦めておりました。
そんな時、成就院のことを知り、すがる思いでお参りし、登校拒否の原因を解明していただき、それから一心にお願いし、お参りさせていただいているうち、長女に高校受験をするかと聞くと、受けると言って、久しぶりに外出して受験をし、高校に合格、不思議なことに2年間1歩も家から出なかった子が高校に行くようになりました。
次女も「私、高校行くよ」と言って、高校に合格、毎日通うようになりました。現在、長女は大学4年で社会福祉と福祉の国家資格を取ると言っています。次女は今年、国立の専門学校に合格、作業療法士を目指しております。
これもひとえに、成就院の神様と、院主様のお助けによるものと深く感謝しております。

それともう一つ、私の不思議な体験をお話します。
3年前の2月23日、頭が痛くなり具合がよくならないので、病院に行ったのですが、その後痛みはひどくなり、吐き気がして、胃の痛みが強くなっていきました。これはおかしいと思い、成就院へ行くことにしました。自分で車の運転ができない状況だったので、子供に連れて行ってもらいました。
院主様にお話すると、先祖供養の怠りということで、すぐに先祖供養をしていただきました。すると終わる直前、意識がなくなりました。気が付くと、あんなに痛かったのが、うその様に消えていました。

最後になりましたが、本当に成就院にお参りをして助けられました。
これからの人生、成就院を信じていれば大丈夫と確信しております。
これで私の体験発表を終わらせていただきます。

体験談 No.6

ご相談者様の声

初めまして、先生から、今までの体験の事を、同じ子供さんをもたれる方にお話して下さいと言われました。ですが、大勢の前で話すのは、苦手ですので、お断りしましたけれど、今ここに立っております。

長男が5年生の頃から、下腹が痛いと言いまして、掛かりつけの病院へ何度も連れて行きますが、どこも悪くなく、浣腸をしてもらい、腸の調整剤をもらってくるだけでした。
お腹の調子も悪かったので、一度大きな病院で調べてもらいましたが、どこも悪くありませんでした。
中学生になった頃から、少しづつ休みがちになり、担任の先生にいじめなど尋ねてみましたけれど、何もありませんでした。
私も胸につきさすような痛みがあり、日を重ねるうちにひどくなり、日数も多くなり、背中も痛くなりました。
気になり、病院で調べてもらいましたが、どこも悪いところはありませんでした。

中学2年生になり、4・5月の連休に入ったら、全然学校に行かなくなりました。午前中は元気がなく、午後になると元気になります。

  • 学校に出かける時間になると、トイレに入って鍵をかけ、出てこなかったり
  • 体がコンニャクみたいになったり
  • 制服をやっとの事で着せても、すぐ脱いだり
  • 車に乗せたら鍵をかけて、学校に行かなかったり
  • 子供を玄関まで、ひっぱっていき、水をかけた事もありました。

こんな日が続き、どこに行けばいいのかわからなくて10年前伺ったことのある成就院に来ました。
先生に調べていただき、因縁により、学校に行けない事がわかりました。それで、因縁滅ぼしのお参りをする事になりました。

だんだんと、車に乗せて、学校の玄関の前まで、駐車場まで、保健室、図書館と行けるようになりました。
おかげで、二学期からは、学校に行くことができました。
3月7・8日公立高校の入試の日で、学校に行けるか心配で、学校に入っていくのを見届けてから、成就院にお参り、祈願を受けに行き、お世話になりました。
14日の卒業式、同級生で同じように学校に行けない子供さんが二人出席できずに、卒業式が始まりました。長男は、成就院の先生方のおかげで、卒業式を迎えることができました。ありがとうございました。
先生が言われたことを、そのままやってきましたおかげで、長男は無事中学卒業、高校入試合格をする事ができました。
本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

皆様も、成就院の神様を信じ、成就院の先生方の教えを守り、がんばってください。

体験談 No.7

ご相談者様の声

私は、3~4年前成就院のことを知り、来院しました。
それまで、いくつもの神様を回り、それでも願いがかなわなかったのです。
私の願いは、遠く離れて暮らす長男息子の開運です。

もともとは、やさしい息子だったのですが、急に親に不平不満を訴えるように変わってしまったのでした。
週に何回もかかってくる電話は親を責め、うまくいかないことを、悲観し、体調の悪さを訴えることの繰り返しでした。
母親としては、たまらなくなるような言葉で、どうにかなってしまうんじゃないかと心配していました。
電話が掛かってくることも恐く、掛かってきたら、電話の向こうの声や音にハラハラし、電話のあとは気持ちが沈み、辛い日々をすごしていました。

成就院の院主様に因縁を調べて頂き、お参りを続けました。そして、息子に変化がみられました。
雨に濡れたというと「カゼをひかんかったね」という言葉を言うようになりました。少しづつですが、口調も荒くなくなり、仕事のことなどゆっくり話す事もできてきました。
正月に帰省し、私に小遣いを渡してくれました。関わることを嫌っていた弟や、父親、親戚に対しても、態度が変わってきました。
私が60才の還暦のお祝いを親戚、兄弟からしてもらったということを聞き、そのことについて、息子がその後、お礼の電話を親戚に自分からしたのです。

「何か、変わったみたいです。ありがとうございました。」と、先生にお礼を言いました。
神様はどんな方法をつかって、息子を変えてくださったのだろうかと思います。
本当にありがとうございました。

体験談 No.8

ご相談者様の声

成就院様のこの佳き御大祭に、体験発表とのこと、私は体が震えました。
と申しますのも、私の一番の短所、欠点であります、人前で話すこと、文章が上手に書けないことの理由で、お断りしましたが、院主様とお話していくうちに、これも数々の難題を解き開いて道をあけて下さった成就院様へのお礼と思い、恥を忍んでお引き受けいたしました。

私が、成就院様に初めて御縁にあずかる様になりましたのは、平成12年の7月の初め頃だったと記憶しております。
長女が結婚し、2年余り経っても子宝に恵まれず、先方様に気の毒で、私一人焦っておりました。先方のお父さんが孫の顔をと願っておられるのを目のあたりにし、神様にすがりたくなり、どうかそういう願いを聞き入れてくださる神様はと思っていましたら、成就院様のことを知り、ワラをつかむ思いで、その日のうちに、お参りしたのがきっかけでした。
色々お話を聴くうちに、やはりご先祖様に起因しておりました。この時点で、大なり、小なりの色々な問題を抱えておりました。

もう一つ、次女の就職問題、教員採用試験、この年5回目の挑戦を20日後に控え、院主様にこのことも相談いたしました処、今年の合格は無理でしょうけど、来年は今から祈願をしていれば合格するでしょうとのことで、私もなるべく時間を作ってお参りの機会を多く持とうと心掛けました。
この年7月に受けた次女の教員採用試験では今まで4回とも一次試験を合格したことがなかったのに一次試験に合格しびっくりしました。しかし、院主様がおっしゃったとおり二次試験は不合格でした。

お参りを続けていくうちに、数々の難題が不思議にも徐々に解決に向かい、明るい兆しがみえ、痴呆で徘徊していました父の行動がいく分か少なくなり、遠くへの徘徊が落ち着いていきました。

お参りして1年目、7月に長女より赤ちゃんができた、今3ヶ月の終わりとのこと、飛び上がる程嬉しゅうございました。「お母さんね、この事、成就院様にお願いしているのよ。」と話しました。早速成就院様にもお参りし、お礼申し上げましたら、喜んでいただきました。
次女は翌年の教員採用試験を受け、院主様がおっしゃって下さった通り、10月に念願が叶い試験に合格いたしました。
長女も次女も願いが叶い、二重の喜びでした。
長女も男の子が誕生し、また2年後には二人目の子供(女の子)が誕生し、嫁ぎ先のご両親の喜び様は言葉に表せない程で、ほんとうに成就院様に出会えてよかったと、しみじみと嬉しさをかみしめました私です。

一難去って次は私の番でした。
熟年離婚を真剣に考え始めました。理由は夫が酒豪家であるがゆえの言葉の暴力です。飲んで帰った日は殆どです。
何度、離婚を考えたことか、しかし私が我慢すればと思い、とどまってきました。
仕事のストレスで私にあたっているのかと思ったりもしましたが、定年になっても続くので、他に原因があるのかも・・・、我慢も限界、この様な格好で私も一生を終わりたくないと思い、恥を忍んで院主様に御相談いたしました。
又、これもご先祖様に起因していました。お参りを続けていくうちに、不思議なことに、どんなに酔って帰っても、おやすみと言ってすぐ寝る様になり、その後は完全になくなり、これ程びっくりしたことはありません。
こんなこともあるのかと今でも半信半疑に思う程です。
これで離婚も回避出来ました。これを契機にどんな仔細なことも、院主様に御相談し解決していただいています。

残りの人生の糧としてお参りしたいと思います。
拙い体験発表でしたが、最後までご清聴いただき有難うございました。

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